ザ・だがしや!店主の89歳のチャレンジ!

皆様お元気でいらっしゃいますか?まもなく、関西も梅雨あけ~っというあっという間の7月です。クラウドファンドでお世話になり、リターンの出荷、ただただ応援の方の了解をいただいた方々の実名掲載などを完了いたしました。オリジナルつつしたやイベントやカード発送は、現在準備中となります。大変お待たせしておりますが、今しばしお待ちください。

本日は、弊社の併設ザ・だがしや!について記載いたします。

よくなんで駄菓子屋?と聞かれます。弊社とザ・駄菓子屋は、切り離せないストーリーがあります。ザ・駄菓子屋ができたのは、約20年前にさかのぼります。弊社量産工場時代にお得意先さまの大きな負債をかかえ、在庫をかかえて行き先を見失った中、とにかく、在庫を現金に換えることを考えました。弊社のある場所は、旧家の住宅内でしかも人通りが少なく駅からも遠く、不便な場所でした。

集客の為に現在の店主(私の母)がかき氷をはじめます。私は、車の移動販売を考案し、スタッフと企画して移動販売で在庫を処分します。

店主は、なけなしの自分の貯金で子供たちの居場所をつくります。するとなんとなんと子供たちがどんどん増えました。子供が好きな店主は、それから冬は、子供の声でおでん・こどもうどん・駄菓子と賑わいをしてきました。店主(母)も必死だった様子が伺えます。私もお手伝いをしたら、じゃらじゃらと小銭がポケットにたまるほど賑わいました。

しかし、そんな努力もつかの間!多額のお客様の負債により、閉鎖を強いられます。

店主とお手伝いのご近所さんが、”もう、おわりか~”とつぶやいて、壊される前にかたずけをしている後ろ姿が脳裏を今もよぎります。

そんな、工場と私の自宅を売却して、現在の本社へ移り、私がしたことは、物干し竿にナイロンで囲み!ザ・だがしや!を作ることでした。

そして、工場閉鎖した後の引っ越しは、子供たちが並び、大きな荷物を運んでくれました。沢山のボランテイアの方々に引っ越しも手伝っていただき、今があります。

そんな、即席駄菓子屋には、こども達の口コミですぐに沢山の子供が集まりました。母の子供好きが出した結果でした。

そんな中、当時の弊社のスタッフに大工経験者がいました!急遽、部屋にしてもらうことにしました。それが今のザ・駄菓子屋です。

今、当時小学生だった子が自分の子供を連れてきてくれたりと懐かしい場所となっています。

いろんなドラマがありました!お金をとられたり、だがしをとられることもしばしば。。。

そんなことを知り、子供たち自ら家から自分のいらないものを持ってきてフリーマーケットを開いて、店主の母へお金を寄付もしてくれたこともありました。

愛がたくさんたくさん詰まったザ・駄菓子屋!生死をさまよう手術から蘇ったザ・駄菓子屋店主89歳のチャレンジは、20日地元の花火大会でのかき氷~駄菓子セットを販売します。

そして、主人ナシルの手作りからあげ

是非、元気をもらいにいらしてください!数量限定ですので、お早目に!!

☆春日東野幼稚園運動場にて

☆7月20日(土)

☆17時開場 17時30分スタート20時30分終了後花火スタート

応援ありがとうございました

無事に皆様のおかげ様で緊急クラウドファディング終了いたしました。

購入応援いただきました方々も含め、沢山の方々に応援いただき、御礼申し上げます。

私の力不足で、目標には達成できませんでしたが、沢山の感動と気づきをいただけましたことを感謝申しあげます。

お客様へお応えする為にも、今回は、まず、製造体制を整える事が第一の目標でした。

クラウドファンドを行うにあたり、賛同いただいた方々がつつしたの先に投資をしていただいたからスタートができました。

あきらめかけていた中での出会いでした。この方々との出会いがなければ、進めることができませんでした。心より感謝申し上げます。

クラウドファンドでは、本当に”つつした”しか履けなくなった方が全国に広がっていることを

体感いたしました。このお客様が口コミで応援していただけたこと!本当のクラウドファンディングであったと思います。必要とされる方々に応援いただき、まだまだつつしたは、開発進化していかなくてはいけない!!!

つつしたと思って買ったら、全く違った、、と他社のかかとがないものが多くでていることも

お客様から知りました。ご迷惑かけない為の対策もしなくてはいけない。そう熱く思えた瞬間でした。

大阪はじめ日本の靴下業界を背負い

そして、主人の国バングラディッシュのお役に立てる活動をしてまいります。

今度ともどうぞ、引き続き応援よろしくお願いいたします。

何故緊急クラウドファンドを?

5月10日からクラウドファンドを緊急開催させていただきました。その裏側をお話をしたいと思います。コロナ後、弊社の店舗閉鎖、お得意先の店舗閉鎖、弊社が一番強いPOU UPの中止などが更に経営状況に圧迫をかけました。

元々、私は、倒産寸前の会社を父からのバトンを繋ぐ勢いで代表を受けて約18年走り続けてきました。工場や自宅を売却しても、一部借金が残り、一から販売先を探してのスタートをきります。想いだけでは、限界が、、、そんな中、お客様のお声から開発を重ねるとできあがった”つつした”

苦しい中にも支えとなったのが、その経営状況とは真逆に全国から届くお客様のお声

直接お電話いただく方も多く、想像以上の深刻なお悩みを受け止めました。そんな中老朽化した機械の故障!!!!!!

もうダメ!!!と諦めかけた時には、店舗にお越しいただいたお客様の姿や泣いてご相談されるお客様の声がよぎります。

そして、スタッフの再就職先、会社の引っ越し、父の急死、母の入退院いろんな事で

壊れそうになるハート!父は、お得意先の負債を抱え病に、、、そして、父が臨んだ後継ぎ

私は、使命感にふるいたちます。そんな中、以前コラボした大学様からのご紹介で出会うデザイナーさん、税理士さん、マーケッターさんなどが共感いただき、今回のクラウドファンドとなりました。また、息子二人の協力も得ることができて、土俵にあがることができました。

リブライニングをしていくには、資金と時間が必要でした。今回、時間がない!資金がない!ことを了解してもらい、緊急のクラウドファンドになりました。皆様には、大変短い期間でのお願いとなりましたことをお詫び申し上げます。

毎日届く全国からのメッセージとご支援に励まされながら!日々気合がはいります。涙涙の感動の日々を過ごしております。

どんな結果であれ、これだけ沢山の方々に応援いただいて、学びを深められましたのは、怖いながらも行動したからだと思います。

あきらめないで頑張ってやり切りますので、引き続きの応援よろしくお願いたします。

まさかのつつしたファンさんがご来店

4月ですね!皆様、色々と環境の変化をされる方も多いのでは、ないでしょうか?私の周りでも新しい仕事やら、定年退職の方、独立される方などなど環境の変化の多い方がいらっしゃいます。そんな4月のスタートとなりました。との記事を書いている途中でした。。。💦もう、5月に・・・まさかのつつしたファンさんとは、よしもと新喜劇の、、、お姉さま 足が小さいこととフィット感を気に入ってくださって、百貨店でご購入!どこを探してもないとのことで、偶然近くに仕事でお越しで、探してきていただきました。ありがたい!まだまだ、全国からのご相談がどんどん増えます。つつしたしか履けないお客様の為にもがんばらなくては、、、

つつしたしか履けないお客様が増える理由とは?

つつしたは、2017年より販売をスタートいたしました。

当時は、業界としては、革新的なアイデアで、マスコミさんたちから騒がれてのスタートをきりました。また、私が社長を受けたのが2006年です。その前、専務時代に考案したのが、”メッセージくつした”というもので、個人さんへ向けた手紙のくつしたでした。

一人一人メッセージを編み込みします。当時は、お得意先の負債を抱えたうえに、生産が中国へ移行し、量産工場を手放さなくてはいけない状況でした。

いつも崖っぷちに強い私は、追い詰められて考案したのが、メッセージくつしたでした。

こちらも、当時はなまるマーケットという有名な朝の番組に取り上げられたり、

大手新聞社に取材をしていただいたりとの経験から、

いつしか、他社と違うものを考えるようになっていました。そして、量産卸に危機感を感じて、個人さんへの直販に切り替えて、

一番の学びは、”お客様のお声が聴ける”ことでした。

作っては、百貨店に立ちました。いいことばかりでは、ありません。沢山の批判のお声もいただき、やり直しの繰り返しです。また、立ち仕事になれていなく、足が棒のようになるつらさも感じながら、その経験が”つつした”開発につながりました。前置きが長ーくなりましたが、

私は、量産工場を経験しているからこそ、なんで??? 工場内での作業や大手会社からの依頼の内容に???を持ちながらの製造が腑におちませんでした。そして、倒産の危機!

どうせダメになるならとことん思うようにチャレンジしたい!!!

とことんお客様に寄り添う商品を作りたい!!!

履いてなにこれ???きもちいいいーーーーという商品を作りたい!!!

それのみでした。

ですから、もちろん原料のこだわりでした。なんで、くつしたは同じ原料しか使わないの?世界には、沢山のいい糸があるのに???

もうひとつのこだわりは、製法でした。くつしたの作り方をくつがえします。

小さい会社だからできたことです。マスコミさんに出てからは、沢山の似た商品も出ているようです。しかし、履いたら違いがわかり、お客様は戻ってこられるお客様もいらっしゃいます。

三人姉妹の末っ子の私が、好きでもない仕事に責任感だけで継いで、いつしかこの仕事が使命に変わります。それは、全て喜んでいただけるお客様のお声をいただき、何度も感動してきたからです。

私が生まれた理由を考えるようになります。私しかできない仕事で貢献することを

考えるようになります。

店舗はコロナ後閉鎖に追い込まれましたが、

店舗に来ていただいた目の不自由なお客様の姿や

お母さんと一緒に来た靴下嫌いのおこさんが、つつしたを喜んで履いて、お母さんが泣いて喜んでいた姿、

足の大きなお客様や小さなお客様の喜びの姿、

乳癌の手術後腕のサポーターにつつしたのサポーターが心地よく、喜んでいただいた姿、

血管浮腫で病院で出されるサポーターが蒸れて、きつくてストレス

つつしたをつけるとその快適さに手放せなくなった方、

感覚過敏症で蒸れや匂いが気になり、くつしたをはけない方がつつしただけ履けた方

その他沢山のつつしたしか履けなくなったお客様の笑顔が脳裏に浮かびます。

つつしたしか履けないのは、製法と高級な糸によります。

しかし、課題は、価格でした。通常の5倍の糸に3倍の糸量、、、製造数は、量産数の通常の3分の1そんな中でのコストには、限界がありました。赤字続きの中、古い機械の故障、、何とか継続するには、正常な価格帯変更と機械の購入となります。

お客様にお応えするには、まだまだ大きな壁を乗り越えなくてはいけません。

”つつした”しか履けなくなった方々にお応えする為に自社での”クラウドファンディング”開催予定です。開催には、こちらでお知らせいたしますので、皆様のお力をお貸しください。何卒よろしくお願いいたします。

小田急×つつした”ビジ専つつした”復活の裏側・・・

まずは、改めて、小田急コラボのクラウドファンドでお世話になった皆様に

心より御礼申し上げます。

当時、くつしたいらないから寄付させて~などのお声もいただいたりして、

本当に温かいお客様のお声をいただきました。ありがとうございます。

もがきもがきの日々です。引き続きよろしくお願いいたします。

機械の故障(すべてが故障でした)もう、ダメ!!!

潮時か~と後を継ぐと言っていた息子にも

この業界に夢希望が見えず若者が離れていく中・・・

お客様の顔やお声がよぎります。

気が付けば、ドライバー片手に機械の前に立っていました。

ふと、亡くなった父が入院した時を思い出しました。

当時、入院中の父に教わりながら、”キャーキャー花火・・・”といって、

鉄工所の作業を覚えました。そんな事を思い出し、できる!!!

そして、メーカーさんには、無理を言いました。

資金が底をついている状況です。来ていただくこともできませんでした。

正直に話しをして、わかっていただきました。

そして、何度も何度も電話での指導・・

私”こんな形のものですか? 

技術者 ”えっそれもわからないんですか?” 

私”はい!すみません” そんなやりとり・・ 

古い機械です。微調整などは、技術者さんの感覚でもあり、

わからなすぎで、床に臥せることも、、そんな間、データー制作の機械も故障、、、

こちらは、外注さんに依頼できました。万が一に備え、

商品もできる工場を探して依頼もしました。

しかし、つつしたの製造の難しさは、外注さんへ依頼してみて更に理解します。

私は、お客様のお声を聞いて、改良改良を重ねての

今のつつしたが出来上がります。

製造現場の事は、考えていませんでしたので、、、

今は、資金的にも厳しい中!やるっきゃなかったのです。

2017年ビックサイトでの奇跡的な出会いが小田急さんのバイヤーさん

当時は、メッセージくつしたの販売 1点を作ります!

LEONに掲載されて、

あの有名人が履いてくれました。表紙に掲載でした。

それを見た小田急のバイヤーさん、

タイミングよく弊社がビックサイトに展示している情報を知りきていただきます。

”御社を探してきました” その光景を今でも覚えています。

しかし、彼が手にとったのが、隅に置いていたつつしたの試作品、、、

つつしたの試作は、展示会前にどうもお客様のお話が気になり、

当時の技術者さんに依頼をして制作してもらっていました。

それに目を止めてくださいました。

それからは、オーダーを展開したり、定番を展開したりしたのですが、

なかなか売上が伸びず

苦戦状態でした。そんな中、私もコラボやテレビの取材で忙しくなり、

時間が経ちました。

しかし、元々つつしたは、小田急のバイヤーさんとの話でスタートしたので、

何とか改良をして、小田急さんコラボで販売したい!

そんな想いを東京販売に行く度に、熱い想いを伝え続けての、

マクアケクラウドファンドに繋がりました。

そんなバックがあっての再開となります。

このビジ専つつしたは、通常のつつしたの糸を倍利用しています。

更に丈夫になっています。(※弊社に機種では、限界の糸数です。)

現場の作業は、大変難しいです。弊社の高齢の機械には、

じっくり、丁寧な製造となります。

こんな想いをのせて、ビジ専つつしたは再開いたしました。

いいスーツは沢山着られているかと思いますが、足元こそ

人は、見ています。

是非、大切な足には、最高級の物を身に着けてください。

大切な方へのギフトに

https://shop.odakyu-dept.co.jp/product/detail/s/7000095904

3月より価格改定と新つつした

 苦渋の選択ですが、お待ちのお客様へ応える為にも、コロナ過の打撃に耐え、継続の為には、大幅な価格改定となりました。

何度も何度も会議を重ね、自問自答した結果です。ご理解よろしくお願いいたします。

つつしたは、編み方と原材料にこだわるが故に、一度履いた方は、他の靴下を履けなくなる方が多いのです。

通常くつしたの材料は、綿・アクリルというものが主流です。なぜかといいますと、くつしたにむいている素材なのです。安くて、強いのです。

しかし、つつしたの履き心地は、通常のくつしたの常識を覆しております。肌に高級天然素材だけあたるように編みますので、高級素材が使用できます。肌にあたらない外には、ゴムを使用しないので、フィット感の出るように通常くつしたには、あまり使われない高級素材の化学繊維を使用いたします。そんな糸や編み方にこだわりますのは、百貨店での販売中、あまりにもくつしたに不満のお客様が多かったからなんです。

しかし、そんな高級素材は、あまり使われない(通常の流通では、市場に出ると高級すぎて、販売価格にならないのと、高級糸は弱いので、通常の編み方では、摩擦に耐えられないからです。)ので、更に価格の高騰が直撃です。

弊社は、自社販売及び店舗販売しかしておりませんので、まだまだ、価格が抑えられております。通常の数倍もする糸にこだわります。そのおかげ様で、体感されたお客様からは、うれしいお言葉のメールや販売先での沢山の感謝をいただきます。また、糸量も多く使用、その為に製造できる数量に限界がございます。そして後加工も高級糸だからこそ、1点1点の手作業にてのプレスにこだわります。

足は、健康に直結する箇所です。足元からご自身の健康を見直していただきたい。

良い素材を身に着けていただきたい。また、使い捨て、ストップを後世に伝えていきたい!長く履いていただきたい。そんな熱い想いで、つつしたを製造販売しております。

今回の新つつしたは、(ショート&ロング)は、更に補強を加え、はきぐちリラックス、その下は、タイトの糸と補強糸を追加しております。

更なる進化した”つつした”をお楽しみください。

1年越しの機械が動く???

あっという間の2月のスタートですね!2月4日新年のスタートです。私も社長を引継ぎ18年 この会社に入り33年が経ちます。のほほんと幸せに暮らしていた

最中、会社と自宅がなくなるという事態に!人生は、何が起こるかわかりません。テレビをあまり見ない私なんですが、最近、家族でもはまるNHKの朝ドラ”ブギウギ”

主人公のスズ子をなぜか私は自分と重なるんですよ!!!

背景は全く違いますが、何故か自分の人生と重ねて見ています。今朝も朝から大泣き、、、

人には、それぞれの魂の試練がありますよね。それを試練と思う人は、成長。避ける人はそのまま、、、私は、人を年齢でなく魂力で見ます。

魂の力のある人といると、楽しくて、自分もHAPPYになれます。私も魂力を上げて、どんな時も笑顔で人に元気と勇気を与えられる人として、しあわせに歳を重ねることが目標です。

と前置きが長くなりましたが、、私には、奇跡がまたまた降りたのです、、のお話です。実は、1年前に今の高齢化した機械が故障したら、もう自社の製造をやめる!と決断しておりました。

そんな紋々とした中、昨年10月 一人で機械に向き合うことにしました。もちろん、コロナ後、店舗閉店、売上減少、経営状況のさらなる悪化、、、いよいよ20年前の大決断をした時の状況と同じ事態となりました。ただ、沢山のお客さまが”つつした”を必要としてくださいました。

自社を断念して、外注様にも、お願いしてみました。苦労して、部品をとってまでもやっていただけました。しかし、”こんなくつしたは、世界一 手間がかかり、糸も高い どこもやりたがらないですよ” おっしゃる通りです。しかし、お客様が喜んでいただける商品であることは、実際、店に立って、お客様のお声を直接聞いていた私だから、確信がありました。

今回の経験で、量産体制にできる工場様が見つかったのは、心強い経験でした。ご協力いただきました工場様には、心より感謝申し上げます。

その後、自社は、資金的に修理にきていただくことができず、事情を話し、それぞれの会社さまへ、私に修理をリモートで教えていただくことをあつかましくも依頼いたしました。背に腹は変えられません。

すると、熱い思いを両社の技術者様が受け取ってくださり、教えていただくこととなりました。大変、気長の戦いでした。部品の名前さえもわからない私に真摯に教えてくださいました。

執念という修理のスタートです。”いつまでも待ちます。”そんなお客様のお声が私の背中を押します。

何度、治らなく、手は油まみれで、キズ、夜中に一人泣いたことでしょう。。。自分に悔しくて、、、夜中3時までの修理 次の朝は、営業に経理、出荷、支払いの催促、、経営者にしてもらい本当に魂の成長をさせていただいています。そして、一人でしたからこそわかる今までのスタッフのありがたみを本当心から感謝する日々です。

そして、そして、、、、、、、、、、、

奇跡の生還の機械!これからも、大切に大切に動かしていきたいと思います。

購入できなくて、お問合せをいただいておりますお客様、現在、予約注文できるようにさせていただきましたので、是非、ご注文お待ちしております。大変大変お待たせしております。

今後は、予約注文を優先の製造とさせていただきますので、お急ぎのお客さまは、ご一報くださいますようご理解よろしくお願いいたします。

小田急百貨店コラボ ビジネス専用つつしたも大変お待たせいたしました。復活いたします。

また、全国からおこさまつつしたのご要望が大変増えております。くつしたを履かないお子様には、是非つつしたをおすすめします。今月もまだまだ、冷えます。足元を温かくして、お過ごしくださいね。つつしたは足元から笑顔と元気をお届けいたします。

本日も”つつした”を履いて、笑顔で元気にお過ごしください。

新年あけましておめでとうございます

今年は、年明け早々から震災に事故などのスタートとなりました。

被害に遇われました方々に心より、お見舞い申し上げます。

さてさて、わが社の年末は、数年ぶりに店主の意向により、

”ザ・だがしや”にて深夜営業をいたしました。弊社のお隣に春日神社があります。

そちらへの参拝者向けて営業です。工場が目の前にありましたので、15年前に”ザ・だがしや”をスタート。そんな中で店主の手づくりのあま酒を販売いたします。久々に88歳の店主、

昨年は、大手術を受けて、生還、、、

元気になり、自分のできることで、お客様の喜ぶ笑顔が見たい!!!そんな言葉に日々応援をしたくなります。今年89歳生き生きと生きる姿は、本当に人として素敵です。

しかーーし、元気だからこそ無理をしてしまいます。若いころと同じには、いきませんよね。年末の疲れから寝込んでしまいました!!!

今、思うと当時は、恒例でした。。💦準備をがんばりすぎて、当日倒れ、私やスタッフが駆り出されて、夜中営業をしいられました。どちらにしても年齢を意識して、無理なく続けてほしいです。子供が大好き!!だからこそ続けられてきました。

今年は、テントをたてて、子供たちの憩いの場所を作りました。

ネコをだっこできるテント駄菓子屋!!

店主にかわり、今は、私が、営業中です。(自由営業中)

そしてそして、機械をゆっくりと丁寧に動かしております。大変お待たせしておりますお客様、、、お電話するとお客様から”機械故障しているんですよね?こちらは、急ぎません!いつまでも待ちますから、、、”と涙が出ます。

百貨店に何度も足を運んでいただいたお客さま、販売員の方にメッセージまでいただけるお客様、メールやお電話で勇気をいただくお客様、販売先に足を運んでいただくお客様

こうして、応援いただく全国のお客様がいらっしゃるから、機械も執念のメンテを行うことができたのだとを思います。もちろん、最新機種導入にむけて、進んでまいりますが、今を乗り越えるには、

今、この機種を大切に製造することなんです。

今年も、一歩一歩ですが、しっかりお客様に喜んでいただける商品と空間作りに努力いたしますので、どうぞよろしくお願いいたます。創業91年目の幕開けです。

引き続き、進化する”つつした”をお楽しみください。

今年は、MADE IN  JAPANを残す為に極める活動をしてまいります。

100周年めざして!

本日は、株式会社設立77周年

昭和21年12月12日樋口メリヤス工業は個人創業から株式会社として設立いたしました。創業者の祖父は、その年の10月に病で亡くなり、株式会社設立を楽しみに、夢半ばでした。その後、祖父の兄が、株式会社設立をして、代表となりましたが、創業者の長男を代表にしたのですが、21歳という若さで創業者を追うかのように亡くなったようです。

そして、父にバトンがわたりますが、まだ学生だったのと、夢をあきらめれず、当時の会社の地主様が代表を受けてくださいます。当時は、めずらしく外国語を学び、外交官を目指しておりました。しかし、弟2人、妹3人を抱えての決断!

悔しい想いをしながら、大学中退を決断、、、5代目代表として、50年奮闘

会社を成長させて、私たち3人姉妹を育ててくれました。そんな中のお得意先の大きな負債をかかえることに、、、その後は、うつ病と戦う日々

そんな中、私の主人がバトンをつなぎ奮闘

私たち家族の為に会社をたたむことを進めてくれましたが、賛成できず、私がバトンを繋ぐ決意をしての現在です。17年前、自宅、工場、そして、主人すべてをなくしてまでも、この会社を繋ぐ決意をした7代目の私

それが、正しいことだったのかは、まだまだこれからの樋口メリヤス工業株式会社が答えを出してくれると思います。社会に必要とされている会社ならば、結果が出るはずです。今、私には応援の沢山のお便りにメールが届きます。私が開発した”つつした”しか履けない全国の方々から、、、そして、周りの方々の応援!何度嬉しくて涙を流したことか、、、いつしか私の使命と変わります。30年前、3人姉妹の末っ子なのにとなぜ私が??と不満をもった私でした。当時の自分よりもお客様の喜ぶ笑顔を見たさに必死に生きる今の自分が大好きなんです。これからも笑顔と共に人として成長したく思います。77周年を迎えた本日に乾杯!!!