つつしたしか履けないお客様が増える理由とは?
つつしたは、2017年より販売をスタートいたしました。
当時は、業界としては、革新的なアイデアで、マスコミさんたちから騒がれてのスタートをきりました。また、私が社長を受けたのが2006年です。その前、専務時代に考案したのが、”メッセージくつした”というもので、個人さんへ向けた手紙のくつしたでした。
一人一人メッセージを編み込みします。当時は、お得意先の負債を抱えたうえに、生産が中国へ移行し、量産工場を手放さなくてはいけない状況でした。
いつも崖っぷちに強い私は、追い詰められて考案したのが、メッセージくつしたでした。
こちらも、当時はなまるマーケットという有名な朝の番組に取り上げられたり、
大手新聞社に取材をしていただいたりとの経験から、
いつしか、他社と違うものを考えるようになっていました。そして、量産卸に危機感を感じて、個人さんへの直販に切り替えて、
一番の学びは、”お客様のお声が聴ける”ことでした。
作っては、百貨店に立ちました。いいことばかりでは、ありません。沢山の批判のお声もいただき、やり直しの繰り返しです。また、立ち仕事になれていなく、足が棒のようになるつらさも感じながら、その経験が”つつした”開発につながりました。前置きが長ーくなりましたが、
私は、量産工場を経験しているからこそ、なんで??? 工場内での作業や大手会社からの依頼の内容に???を持ちながらの製造が腑におちませんでした。そして、倒産の危機!
どうせダメになるならとことん思うようにチャレンジしたい!!!
とことんお客様に寄り添う商品を作りたい!!!
履いてなにこれ???きもちいいいーーーーという商品を作りたい!!!
それのみでした。
ですから、もちろん原料のこだわりでした。なんで、くつしたは同じ原料しか使わないの?世界には、沢山のいい糸があるのに???
もうひとつのこだわりは、製法でした。くつしたの作り方をくつがえします。
小さい会社だからできたことです。マスコミさんに出てからは、沢山の似た商品も出ているようです。しかし、履いたら違いがわかり、お客様は戻ってこられるお客様もいらっしゃいます。
三人姉妹の末っ子の私が、好きでもない仕事に責任感だけで継いで、いつしかこの仕事が使命に変わります。それは、全て喜んでいただけるお客様のお声をいただき、何度も感動してきたからです。
私が生まれた理由を考えるようになります。私しかできない仕事で貢献することを
考えるようになります。
店舗はコロナ後閉鎖に追い込まれましたが、
店舗に来ていただいた目の不自由なお客様の姿や
お母さんと一緒に来た靴下嫌いのおこさんが、つつしたを喜んで履いて、お母さんが泣いて喜んでいた姿、
足の大きなお客様や小さなお客様の喜びの姿、
乳癌の手術後腕のサポーターにつつしたのサポーターが心地よく、喜んでいただいた姿、
血管浮腫で病院で出されるサポーターが蒸れて、きつくてストレス
つつしたをつけるとその快適さに手放せなくなった方、
感覚過敏症で蒸れや匂いが気になり、くつしたをはけない方がつつしただけ履けた方
その他沢山のつつしたしか履けなくなったお客様の笑顔が脳裏に浮かびます。
つつしたしか履けないのは、製法と高級な糸によります。
しかし、課題は、価格でした。通常の5倍の糸に3倍の糸量、、、製造数は、量産数の通常の3分の1そんな中でのコストには、限界がありました。赤字続きの中、古い機械の故障、、何とか継続するには、正常な価格帯変更と機械の購入となります。
お客様にお応えするには、まだまだ大きな壁を乗り越えなくてはいけません。
”つつした”しか履けなくなった方々にお応えする為に自社での”クラウドファンディング”開催予定です。開催には、こちらでお知らせいたしますので、皆様のお力をお貸しください。何卒よろしくお願いいたします。